聖地天台山ー日本天台宗の大本ー(法話第16話)

 平成15年より5ヶ年に亘って行われました、天台宗開宗1200年慶讃大法会の円成結願を記念し、5月21日より27日までの7日間、日本天台宗の大本である中国浙江省の天台山国清寺に、大法会円成の奉告法要のため参拝する予定でありました。ところが5月12日に起きた中国四川省大地震のため参拝旅行が中止されました。
 今回の旅行では天台山に参拝した後、慈覚大師円仁和尚の受法の地でもあります西安に足を伸ばす予定でした。西安には青龍寺・大興善寺等の古刹もあり楽しみにいたしておりました。誠に残念ではありますが事情が事情だけに止むを得ません。この場を借りて、大地震の被災者の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

 さて、天台宗の天台という名は、中国の聖地である天台山という山の名前からとったものであります。天台山は古くより,紫微宮(しびきゅう)・・・北極星を囲む星座郡(小熊座、大熊座、竜座、カシオペア座)にある三台星宿(三つ星)に応ずる福境であるがゆえに「天台」といわれます。「天台」は星を意味し、天に昇る意味の「上天之台」ともいわれます。
 山の麓から天台山の三つの峰を見上げたとき、ちょうど三つの峰と天空にきらめく紫微宮の三つ星が重なって見えた。天台山の三つの峰に昇れば天空にきらめく星に到達することが出来る、ということなのでしょう。

 天台山の最高峰は華頂峰、海抜1138メートル。東方には海が望めるので望海頂ともいわれます。
 日本仏教では、この天台山を、インドの霊鷲山(りょうじゅせん)、日本比叡山とともに、『法華経』の三霊山の一つとしており、日本の求法僧が身命を賭して訪れた山なのです。
 この天台山が聖山であることを知って入山し修行され、新しい仏教を開いた。その僧の名前を天台大師智顗禅師(てんだいだいしちぎぜんじ)と申します。

 天台大師は38歳のとき、陳の都の栄光を棄てて、深山に籠もり修行をいたしました。大師は天台山最高の華頂峰で一人修行をし、こころの中の悪魔を降伏させ(華頂降魔)、解悟得脱いたしました。この解悟こそが『法華経』を中心とした天台教学の基であり、心髄となったのでした。
 天台大師は西暦597年11月24日に天台山の西北山麓、新昌の石城寺(大仏寺)において60歳の生涯を閉じられます。即身仏になったご遺体は、天台山の智者塔院の肉身塔に奉安されております
 大師より教えを受けた晋王広(隋の煬帝)は、大師の遺言を守り、天台山の南麓に国清寺という寺院を建立します。これ以来、天台山と国清寺は中国でも特別な道場となり、多くの高僧が排出されました。
 今より約1200年前、日本の伝教大師最澄上人が求法のためこの天台山を訪れました。最澄上人はこの天台山で多くの仏教を学び、特に天台の法門を伝えられて日本に帰国し、西暦806年、比叡山に日本の天台宗を開かれたのであります。

 伝教大師最澄上人を「宗祖」、天台大師智顗禅師を「高祖」とお呼びし、お仏壇の御本尊の両脇侍としてお祀りするのも、そのような所以によるものであります。
 また、日本の比叡山が天台山とも呼ばれるのは、天台山を憧れる気持ちが根底にあることによるものでありましょう。

2008-06-03 日光団参始末記(法話第17話) 四国のお遍路と四門(法話第15話)
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