埼玉教区研修所第9期修了式に参加して(第44話)

 12月21日(金)、天台宗埼玉教区第9期研修所の修了式が、川越東武ホテルで行われました。私が埼玉教区教務主任の時に立ち上げた研修所が1期2年で9期、18年目が終わろうとしております。

 この研修所は、過去にあった布教研修所が途中で立ち消えになり、改めて平成13年度より、教区研修所として再出発したものであります。特に若い僧侶を対象に、教学・布教・社会・法儀の4部門に渡って研修を行うというもので非常に有意義なものであります。

 其の修了式に際しまして、研修所の瀧川副所長があいさつの中で、過去の研修所研修生の一文を披露いたしました。この文章は昭和63年発行の布教使会会報「法のともしび」に掲載されておるものであります。そしてその文章を書いた研修生が私であるということをお聞きして、驚いたとともに、過去の自分に文章を通して出会えたことに有り難ささえ感じた次第でございます。

 今回の法話では、その文章を掲載いたしたいと思います。

「布教研修所修了証をいただいて」
 昭和60年7月より約2年間にわたり、布教師研修生としてご指導を賜りましたこと厚く御礼を申し上げます。過ぎ去った2年間を顧みまして、何ら進歩の跡が見られないことに唖然とするばかりであります。今後とも皆様にご教示を頂きたくお願い申し上げます。
 さて、仏教のみならず、すべての宗教の求めるものが自由と幸福であるといわれます。自由という言葉に語弊があれば、自在と言った方が適当でしょうか。心に自在を得る。この世を自在に生きる。これらのことは言うは易く行うは難きものなのでしょう。
 『法華経』によれば、お釈迦様を取り巻く弟子たち(阿羅漢)は皆「汚れなく、欲望のわずらいもなく、自己に克ち、思考と理智において迷いを離れ・・・・・・、すべての心を制御して最高の完成に達し」ていたといいます。
 即ち心に自在を得ていたのであります。人間は感情の動物です。風が吹けば波が立つのと同じように、人間の心の中でも、ものごとにたいする喜怒哀楽等の感情の起伏が渦を巻いています。そして、その感情の起伏の渦が激しければ激しいほど、喜びのあとに深い悲しみをもたらすものであります。
 人間は生きております。ですから感情を素直に表せないということは不幸なことなのかもしれません。しかしその感情をコントロールできないことも不幸であると思われます。
 禍福が糾える縄の如しであることを知り、その時々の感情にのみ流されず、自己を見つめ、真理を追究する心を養うこと、そのことが心に自在を得ることにつながるのではないでしょうか。
 私達は研修所の修了証をいただきましたが、これから布教師として前述のような心をすべての人に広げてゆくために、更なる研修を必要とするでありましょう。
 宮沢賢治「世界のすべての人が幸福でない限り、私の幸福はありえない」の言葉を胸に精進したいと思います。

2018-12-23 「住職の法話」の一覧 施餓鬼会について(第43話)
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