當寺では檀信徒各家の、葬儀・追善供養等の法要を執り行います。

 亡くなられた方の、この世での最後の締めくくりの儀式であり、あの世(来世、浄土)に向かって進み行くための旅立ちの儀式でもあります。

①通夜
亡くなられた方の、ご遺体と霊魂を、夜の闇にまぎれてやって来る、「魔」からお守りする為に、本来は夜通し、灯明の明かりで周りを照らし、香の煙で周囲を清めます。現代では、式場等の関係上、夜通しは出来ませんので、通夜式として限られた時間内で読経、焼香の儀を執り行います。また、最近は、多くの一般の方が通夜の時にご弔問に来られるケースが多いようであります。
②葬儀
本来は、葬送の儀と言い、ご遺体を葬る意の「葬」と、霊魂を浄土にお送りする「送」の両方の意味がございます。「葬」とは、ご遺体は火葬(荼毘)に付し、ご遺骨を墓地に埋葬し、やがては土に葬り、無に帰します。「送」とは、故人の霊魂は、阿弥陀如来と二十五人の菩薩さまたちのご来迎を戴き、観音様の蓮台に載せられ、西方浄土へと向かわれます。その死者の霊魂を浄土のお送りいたします。
③告別式
故人がこの世のすべての物、人とのお別れを告げる儀式であります。

以上の、通夜儀・葬送の儀・告別の儀が滞りなくお行われて、完全なるお葬式といえます。

法事・追善供養

  亡くなられた方が、生前の業を十三仏の化身である十三人の王さま方に裁かれます。そのとき、十三の仏さま方に故人の霊が、無事に浄土へ赴きますようにお願いします。
故人の霊は、本人の生前の功徳力、遺族・親族の皆様の供養力と多くの仏さま方の加持力の三力によって、浄土へ往生することが出来ます。

①中陰忌(中有)
亡くなって四十九日間、忌中。この世からあの世までの死出の旅路の途
中の期間。
初七日
不動明王が化身した秦広王の審判を受けます。
「み心に 縋りて冥土に 至るなら 罪科除き 迎えまします」
二七日
釈迦牟尼如来が化身した初江王の審判を受けます。奪衣婆と懸衣翁が、亡者の衣服をはぎとり、木にかけて罪業の軽重を量ります。三途の河を渡ります。
「黄泉の路 さまよう幽魂 救わせて 導き給え 蓮華のうてなへ」
三七日
文殊菩薩が化身した宋帝王の審判を受けます。邪淫の罪を裁かれます。
「み佛も 悟らせ参らす み親にて 三途の苦しみ 救けましませ」
四七日
普賢菩薩が化身した五官王の審判を受けます。妄語の罪を裁かれます。
「黄泉の道 浄く寂けき み光は 罪科照らし 救い給えや」
五七日
地蔵菩薩が化身した閻魔王の審判を受けます。亡者の善悪の業が、浄頗梨の鏡に写し出されます。
「み佛の 弘誓の船に 乗りを得て 浄き浄土へ 往くぞ嬉しき」
六七日
弥勒菩薩が化身した変成王の審判を受けます。罪業が有るものには悪道が、福徳有るものには善道が示されます。
「己が咎 生死輪縁と 苦しむを 慈氏のみ法は 救いまします」
七七日
薬師如来が化身した泰山王に最終の審判を受けます。王の前地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道に行く門があります。
「浄瑠璃の 光りは六趣の 諸人も 余さず照らし 陰も残さず」
②百か日忌
観世音菩薩が化身した平等王に導かれ、極楽浄土に向います。
「罪の影 慈悲の光に 消え失せて 導き給う 清き浄土へ」
③一周忌
勢至菩薩が化身した都市王に阿弥陀仏造立の功徳を説かれます。
「限りなき 光に罪科 照らされて 導き給う 華のうてなへ」 
④三回忌
阿弥陀如来が化身した五道転輪王が亡者の煩悩を払い、観音・勢至菩薩とともに、弥陀の浄土へ往きます。
「超世の 悲願に縋る 身にあれば 罪深くとも 救いましませ」
⑤七回忌
阿閦如来は東方妙喜国の教主。祇園王に変化して応迹して、惑業が尽きない精霊の、無明の業障を尽き果てさせ、蓮台へ登らせたもう。
「妙楽の 佛を尋ね 来て見れば 迷う吾が身も 佛なりけり」
⑥十三回忌
大日如来は密教の中心となる仏さま。毘盧遮那仏とも称し、蓮華王として化現し、如何なる罪障も生滅し、華の台に至らせる。
「惑業の 五濁の霧に 彷徨えど はれて嬉しき 慈悲のみ光り」
⑦三十三回忌
虚空蔵菩薩は、虚空のような蔵を持ち全てを包み込んでしまうといわれる菩薩。慈恩王と称し、福徳、智恵を増進させます。
「諸共に 蓮華の台へ 招かれて 佛と遊ぶ 身こそうれしき」

 上記に加えて十七回忌・二十三回忌・二十七回忌・三十七回忌・五十回忌の命日には、遺族・親族などが集まり、おろそかになりがちな個人への追善と感謝の気持ちを新たにし、自らの修養のかてといたします。