東日本大震災 津波にのまれた娘 遺骨戻る(第46話)
令和元年10月25日の朝刊、
やっと、そばに居られる
3・11 津波にのまれた娘 遺骨戻る
という見出し。その記事の冒頭には
「やっとだね。お帰り――。津波にのまれ、行方不明になっていた宮城県山元町の女性(当時27)が、両親のもとに戻った。2011年3月11日から8年7カ月。深い海の中から見つかった小さな骨を、両親はそっと抱きしめた。」
とある。
8年7ヶ月前の東日本大震災。その日、娘さんは山元町の海近くにある常磐山元自動車学校でアルバイトをしていた。大きな揺れのあと、校舎で後片付けをしていたところを津波に襲われ、行方不明になってしまった。両親は何度も海岸を歩いて手掛かりを捜した。警察や海上保安庁のの協力も得て、宮城の海岸は、見るところがないほど捜した。
その間に、被災した校舎や周りの家々は解体され、近くには防潮堤もでき、海沿いにあった瓦礫も消えた。その頃には捜索を依頼しても、すぐには応じてもらえなくなってきた。
そんなときに思い出したのは、にこにこ笑う娘さんの姿や初めて自転車に乗ることが出来て大喜びした顔、飼っていた九官鳥やネコに見せた優しい微笑みだったという。
「行方不明のままでは、つらすぎる」。
あの日何があったのか明らかにしたい。被災した教習生25人の遺族とそれぞれ学校を訴えた。16年7月、仙台地裁で学校の跡地に慰霊碑を建立することを条件に和解した。
両親はその慰霊碑に毎週末と月命日に通い、好きだったブラックコーヒーを供え続けたという。
そんな折、父親の携帯電話に2019年10月11日の昼過ぎ、これまで何度もやり取りをした宮城県警亘理署から着信があった。
「娘さんと思われる骨の一部が見つかりました。」
24日、亘理署の3階。白い布に包まれた箱には、一人娘の下あごの骨が納められていた。
実に8年7ヶ月ぶりの再会である。母親が優しく抱きしめると、父親はそっと手を添えた。
遺骨は、8月末、山本町の沖合約6キロメートル、深さ20メートルほどの海中で見つかったという。
東日本大震災の死者は1万5,897人、行方不明者は2,533人。宮城県内の行方不明者は1,220人。見つかった9人の遺体の身元がわかっていない。
両親は、子供のころから顔に水がかかることが大嫌いだった娘さんのために、高台にお墓を用意した。だけど、しばらくは自宅の仏壇に安置するつもりであるという。
最近、お骨を郵送するサービスがあるという。永代供養ネットというサービスで、「遺骨郵送パック」送骨梱包キットは2万5千円から、とある。
いかがなものか、と思わざるを得ない。