お塔婆について(法話第9話)
8月25日の拙寺の施餓鬼が終わると、朝晩はだいぶ涼しくなり、いよいよ夏にもお別れ。朝、昼はセミが名残りの暑さを惜しむかのようにまだまだ元気に鳴いていますが、夕刻から夜半にかけては、やっと自分たちの番が来たとばかりに、虫たちが声を競って鳴いています。
朝晩の境内はいつもの静けさを取り戻したかのようであります。しかし、昼間はやはり太陽の光と影のコントラストが、過ぎ行く夏を忘れさせまいと、色濃く木々の枝葉に映し出されています。
本堂の回廊の塔婆立てには、まだ施餓鬼のお塔婆が何本となく残っています。大半は遠方の方で、取りに来られない方のものです。お盆の慌しさが過ぎ去り、10日間も経つとついうっかりして、施餓鬼のお塔婆のことを忘れている方もいるかもしれません。「塔婆」とは、サンスクリット語の「ストゥーパ」を音訳した「卒塔婆」(卒都婆・率塔婆とも書く)の「卒」が省略され、「塔婆」となったもので、言葉の意味は「高く顕われる」ということです。
お釈迦さまが涅槃されたとき、お釈迦さまの徳を高く顕わすために、ご遺骨を八つに分け、八ヶ所に塔を建て、それぞれに遺骨を安置して供養したという。仏塔の始まりです。その後、お釈迦さまの徳を慕って多くの人々が集うようになりますと、自然とお釈迦さまのご遺骨が祀られている仏塔を中心に集うようになります。それが段々ふくれあがって、大人数になり、教団として活動するようになります。
日本では、死者が出ると、多くは地中に埋葬し、土を高く盛り上げました。いわゆる土饅頭であります。土饅頭の代わりに石を積むようになります。石を綺麗に飾り、梵字や漢字等の文字を刻み込みます。石塔の始まりであります。石の塔の代わりに木の塔を建てます。木の塔を薄くし、表と裏に文字を書くようになります。木の塔婆の出来上がりです。木の塔婆の表には、五大(空・風・火・水・地)を表わす梵字と年回忌の本尊さまを表わす種字梵字、経文、供養する人の戒名等を書きます。裏には大日如来を表わす梵字、建立年月日、施主名等を書きます。
梵字や漢字等の文字が書かれた塔婆は、僧侶の読経により、仏の魂が込められます。そのことを「開眼」といいます。開眼されたお塔婆は仏塔ですから、亡くなられた人の墓所に建てられます。
年回忌の追善供養や施餓鬼会の度ごとにお塔婆を建てます。それは、亡くなられた方は浄土へ往かれても、ずっと修行をされておりますから、さらにより良い仏さまに成って頂くためにお塔婆を建て続けるのであります。