埼玉教区第50回一隅を照らす運動推進大会(第39話)

  
         挨拶する當山住職(埼玉教区宗務所長)

一隅を照らす運動第50回推進大会の歩み

 埼玉教区一隅を照らす運動推進大会が第50回を迎え、去る4月29日、本庄市民文化会館において、約1,000名の檀信徒と僧侶の皆様が集い盛大に行うことが出来ました。関係各位のご尽力の賜物と深く感謝申し上げます。
 昭和40年、埼玉教区において全国に先駈けて檀信徒会が結成され、岩槻の慈恩寺様を会場として第1回の檀信徒大会が開催されました。その後、昭和44年に天台宗において「一隅を照らす運動」が発足し、昭和46年には埼玉教区の一隅を照らす運動推進大会が、伝教大師千百五十年御遠忌法要と第5回檀信徒総会とを併せて川越市民会館において開催され、爾来、回を重ね第50回の大きな節目を迎えることが出来ました。

「一隅を照らす」とは

 大会の記念講演として、天台宗一隅を照らす運動会長の大樹孝啓探題大僧正様に「一隅考(いちぐうこう)」と題してお話を伺いました。大僧正様は「一隅を照らす」とは、「六行(ろくぎょう)」という菩薩(ぼさつ)道(どう)を行うことで、六行とは
   布施(ふせ)・・・人を大事に自分を後に
   持戒(じかい)・・・自分で自分を戒める心
   忍辱(にんにく)・・・感情をおさえる強い心
   精進(しょうじん)・・・たゆまず続ける努力
   禅定(ぜんじょう)・・・心静かに感謝と反省
   智慧(ちえ)・・・慈悲深い正しい考え
の六項目、すなわち六波羅蜜(ろくはらみつ)(六度(ろくど)とも)であるとして、やさしいお言葉でお諭しくださいました。

「忘(もう)己(こ)利他(りた)」は「もう懲(こ)りた」?

 伝教大師様のお言葉に、「己(おのれ)を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」とあります。そんなことは難しい。自分のことを置いといて、他人のために尽くすなんて、そんなこと出来っこない。というのが大方の思いでしょう。なるほど、常にそうすることは難しいかもしれません。でも、時にふれ、折にふれ、出来る範囲であれば可能かもしれません。
 先の一隅大会の会場において、熊本地震で被災された方々のために義援金を募りました。また、過日には仏教青年会の若き僧侶が托鉢(たくはつ)(街頭募金)をいたしました。お陰様で沢山の募金をいただくことが出来ました。募金をしてくださる方々はお金を募金箱に入れるとき、自分のことはさて置いて、熊本の被災された方々のことを思って入れてくれているわけです。その時は己を忘れ他を利しているのです。そのような一つ一つの小さな善行を積み重ねてゆくことによって、慈悲の極みに一歩一歩近づいてゆけるのです。その一歩一歩が菩薩道であり、一隅を照らす行いなのではないでしょうか。
「一時坐れば一時の仏」とも言われます。

    

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