新年雑感・・・申年・・・(第38話)
例年のごとくに年も改まり、新年を迎えることが出来ました。今年の正月は殊の外暖かく、より一層温暖化が進んでいるのかな、と思われるような日々が続いております。
當山の恒例となりました護摩祈願法要も無事終了し、一息付いておるところでございます。とはいっても、八日の初薬師護摩の後、三連休ということで、御法事がちらほらありますので、まだ落ち着かない状況ではありますが、やっと机に向かって、ホームページの法話の更新しようという気になりだしたところでございます。
今年は申年ということで、護摩供の法話でも、お話ししたところではありますが、申にまつわる事がらを書いてみようかなと思います。
申年の「申」という文字には、サルという意味はないそうで、もともとこの字は、鋭く光る稲妻を描いた甲骨文字だったといいます。ピカッと光り地上に向かって伸びることから、相手に何かを伝える意味でつかわれるようになり、申す、申告、申請等の意味に用いられたそうです。
漢字研究の白川静氏によれば、申は神そのものを意味した。稲妻が屈折しながら天空を走るのを、太古の人々は神の現れる姿と考えた、といわれております。
稲妻ー神ー申が関係深くつながっておるということでしょうか。
一方で、猿を神様の使いとして、古来より大切にしてきた神社があります。比叡山麓の日吉大社や東京赤坂の日枝神社などが有名であり、全国各地にその末社が存在しております。
境内の神猿の像があり、「まさる」と呼ばれておるそうです。魔が去る、何事にも勝る、という意味で信仰を集めておるとか。猿(えん)は縁に通じ、縁起が良い、縁結びの御利益がある、ということでに人気スポットになっているようです。
猿と神が縁が深く、申と神もつながっておるところから、申が猿年の文字と使われてきたようでございます。
猿といえば、日光の猿軍団・・・ではなく、東照宮の神厩舎に彫られた三匹の猿。見ざる、言わざる、聞かざるの三猿が有名。
今年いただいた年賀状の中に、今年こそ、見ざる、言わざる、聞かざるではなく、よく見て、よく聞いて、よく言う年にしたいということが書かれていました。
日光の三猿の彫り物は、猿の一生を描いたもので、幼少期の猿には、悪いものを見ざる、言わざる、聞かざるということを教える意味があるといいます。
成長した猿には、よく見て、よく聞いて、よく言うことを教えたことでしょう。
見ざる、言わざる、聞かざるの三猿が彫られたものに、庚申塔があります。古来より、庚申(かのえ、さる)の日の夜には、人間の体内に潜んでいる三尸の虫が、その人の悪事を天帝に報告するといわれています。そこで、三尸の虫が動き出さないように、夜通し起きていなければならない、ということです。
庚申(かのえ、さる)の日は、男女の交わりもしてはならないとも言われており、見ざる、聞かざる、言わざるに、せざるを加えて、「四ざる」とも言われそうです。