施餓鬼会法話「いい死に方、悪い死に方」(法話第24話)
法話の更新が半年以上もできず、拙僧としても忸怩たる思いでありました。ここのところ、旅行記のブログのようになってしまいましたが、読者の皆様はいかがお感じでしょうか?
さて今回は、今年の施餓鬼会で行った法話の内容を載せてみました。この話題は、ある週刊誌の記事をもとに作成しております。
未完の法話原稿ですので、文章としてはおかしいところがあるかもしれませんが、気にせずお読みいただきたいと思います。
「いい死に方、悪い死に方」
1、「幸福な死」と「惨めな死」-「迷惑」と「困惑」
2、あなたが死ぬ前に準備することーはじめての「身辺整理」
3、死ぬとき、人は何を思うか
4、「死後の世界」 その常識を知っておきたい ―(死者の霊魂は有るか無いか?)―
5、死の予習を!そのときになってからでは遅すぎます
何故今の時代になってこのようなことが週刊誌の題材になるのかということがあります。
お釈迦さまが説かれた「四苦八苦」 四苦 生・老・病・死
昔は 生と死の間にある老・病が短かった。
平均寿命
昭和22年(1947) 50.06歳 53.96歳 初めて50歳を超える
室町時代(1338~1573) 15.2歳
江戸時代(1603~1867) 17世紀 20~30歳 18世紀 30歳半ば 19世紀30歳後半
明治13年(1880) 36歳 38歳
大正10年(1921) 42.06歳 43.2歳
昭和20年 49.8歳 22年50.6 53.96 25年59.57 67.75 30年63.60 67.75 35年 65.32 70.19 40年67.74 74.66 45年69.31 74.66 50年71.73 76.89 55年 73.35 78.76 60年74.78 80.48 63年78.54 81.30
平成5年 76.25 82.51 16年 78.64 85.39 21年 79.59 86.44
※昔(明治時代ころまで)は赤ん坊や幼児の死が多かった。1件のうちに何人となく幼い命で亡くなっている。そのような命までが平均の中に入っている。従って、最後まで寿命を全うして亡くなった場合は、もっと長生きであったろう。
現代は生活の向上と医療の進歩により寿命が延び、その分「老」と「病」の期間が長くなった。
したがって、その間に更に仕事、趣味に費やす時間が多くなったとともに、余生として家庭生活を送るなかにおいて、死を意識したり、自分自身の死後や、自分が死んだときの家族の生活のことを考える時間が多くなった。
1、「幸福な死」と「惨めな死」 迷惑と困惑をこの世に残さない
「幸福な死」
自分の死を意識して、人生の後半をかけて除々に「脱俗」してゆく様な死に方。そしてあなたの死を悼んでくれると確信できる親しい人がいること。
脱俗・・・世間の俗気から離れること。世の中から超越すること。超俗。
超俗・・・俗界を超越すること。俗界から高く抜け出ること。脱俗。
「惨めな死」
死後の安心が得られていない。自分の死後、誰が自分を供養してくれるのかという不安。
現代は段々縁が薄れてゆく時代だといわれる。111歳の男性、113歳の女性、生きているのか死んでいるのか誰も知らないし、構わない。それを契機に100歳以上を調べてみれば、75人以上の人の生死が不明。この世から忘れ去られている人たちがたくさんいる。
死に顔を見れば、その人の死が、幸福な死か惨めな死がわかる。
2、あなたが死ぬ前に準備すること・・・身辺整理
出来るようで出来ないのが、身の回りの品物の整理。不必要なものは捨てる。
遺品で大切なものは家族にアピールしておく。
葬儀とお墓。経費を考慮に入れる。
葬儀はその人にとって最後のこの世での儀式であるとともに、来世に向かっての旅立ちの儀式。また、
死者と生者の別れと心のけじめの儀式。
お墓。『千の風になって』
川柳「墓参り 行かぬ理由に 千の風」
新井 満(あらい まん) 作曲・作詞家
「私はお墓を訪ね、死者と対話するのが趣味になりたした。死者は風になり、星になり、鳥になって、空を自由に飛び回っていて、生者が墓を訪れると、きっとどこからかやって来る。お墓はいわば死者とのミーティングルームなのです。」
「死者は二度死ぬ。最初は生物学的に、二度目は生者が忘れたときに。しかし生者が忘れない限り、死者は生き続ける」
お墓は亡くなられた方の本籍地。
3、死ぬとき人は、何を思うか
痛みなど身体の苦痛が緩和されたとき、初めて人生を振り返り、いろいろな思いが湧きあがってくる。中で も、「会いたい」、「行きたい」、「食べたい」という3つの言葉。
4、「死後の世界」その常識を知っておきたい。知らないまま、あの世に行くのは…
死んだらどうなるんだろう。不安、焦燥、恐怖・・・死苦・・・
自分の身体がなくなったら、自分はどこへ行くんだろう。
そもそも自分はなぜこの世に存在しているのか。
なぜ生きているのか。
その疑問の答えが見つかった人はいない。なぜなら死んで生き返った人はいない。
父と母の行為によって、3億分の1の精子が卵子と結合して今の自分が母の胎内で育ち、時が満ちて生まれてくる。人類は何万年ものあいだそれを繰り返してきて、今の自分がここにいる。父母は2人、祖父母は4人、曾祖父母は8人・・計14人。10代さかのぼると2,046人、20代さかのぼると2,097,150人。30代さかのぼると2,147,483,650人。
「風のガーデン」という倉本聰が脚本を書いたドラマの中で、北海道で町医者を営んでいる老医師に扮する緒方拳と息子の麻酔科の医師に扮する中井貴一の会話 末期ガンで死の床に横たわっている息子役の中井貴一が父親の老医師役の緒方拳に来世は有ると思うか」と聞くと、緒方拳は有るか無いか確証はないけれども、有ると思ったほうがいいんじゃないかという。緒方拳はこのテレビ番組が未公開のうちに、自分自身肝臓ガンのため71歳で急逝した。
宗教学者 山折哲雄
この世とは別の世界、たとえば天国でも浄土でも、それに代わるもの何でもいいのですが、死後の世界があると考えたほうが、死の恐怖を受け入れ、乗り越えるための大きな要素となる。
教誨師 受刑者の話を聞き、教えを説く
死刑囚は死に対する恐れがあるが、来世があるというと、少しは気が安ら いで死刑執行までの日々を過ごせるようになるという
宗教学者 奈良康明 ―霊魂は有るか無いか―?
私は実体的な霊魂の存在を認めていない。
「生者の記憶にのこる死者の人格」を葬祭に関わる対象として認めていいと考えている。
「気」の存在、「気」を感じる 気と霊魂の関係
5、死の予習を!そのときになってからでは遅すぎます
中川恵一医師×玄侑宗久 芥川賞『中陰の花』
死というのは人生最後の大きなイベントだから、練習をしておかなければならない。少なくとも自分の死について考えておかなければなりません。
受験勉強、就職活動(就活)、結婚活動(婚活)、育児活動(育活)、何らかの備えをする。備えよければ憂いなし。死の本番というのはいつ来るかわからない。死は前からは来ないで、突然、後ろからおそって来る。
臨終活動(臨活、終活)
だから、子供のころから死というものを見せておく必要があります。おじいちゃん、おばあちゃんの臨終のときとか、納棺、葬式、納骨・・・そうした機会に立ち会うことも死の予習につながると思います。
余生の生き方
エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハー(1911~1977)
「スモール イズ ビューティフル」 西ドイツの経済学者・哲学者
3S スロー・スモール・シンプル
仏教経済学 幸福=財産÷欲望
財産 物的財産 金、財宝、土地、建物、
人的財産 家族、親友
インド 五木寛之
人生を4期に分ける
学生期(0~25歳)、止住(家住)期(25~50歳)、林棲期(50~75歳)、遊行期(75~100 歳)
お釈迦さまの一生 北門から出家(四門出遊)
中国
人生を4期に分ける
北・冬・玄武(亀・蛇)(0~20歳)、 東・春・青竜(20~40歳)、 南・夏・朱雀(40~60歳) 、
西・秋・白虎(60~80歳)
安らかに余生を送る5カ条+1条
「おいあくまよ」
おこらない いばらない あせらない くやまない まけない よくばらない