「智慧」について(法話第25話)
お彼岸も終わり、ようやく暑さも峠を越え、いよいよ灯火親しむ錦秋の候となりつつあります。
さて、今回の法話では、読者の方からのメールでのご質問にお答えして、「智慧」について思うところを述べさせていただきます。
智慧は慈悲とともに仏さまの大きな力と言えます。仏さまに灯明とお花を供えますが、その灯明が智慧を表し、お花が慈悲を表すと言われます。
仏さまにお供えする灯明の明るさは、太陽の光や電気の明るさに比べれば、まことに小さなものですが、太陽も電気も無いところであれば、ローソク1本の明かりが皓々と輝き、真っ暗闇を赤々と照らしだしてくれるでしょう。暗い夜道もローソク1本の明かりで迷うことなく歩むことが出来ます。それと同じように、智慧という光があれば、人生の闇も晴れ、迷いからも脱出することが出来ます。残念ながら智慧が無い為に人間は悩み苦しみ、悪に手を染め、心を蝕まれてしまいます。
智慧は、菩薩の修行方法である六波羅蜜(ろくはらみつ)の一つとして挙げられております。六波羅蜜とは、六種の、悟りに至るための基本的な修行方法という意味です。六種とは、布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱、(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧の六項目です。前五項目を行うことによって、最後の智慧が備わると言われます。
智慧は、お釈迦さまの悟られた教えであるこの世の真理を会得するものであります。この世の真理とは、四諦(苦諦・集諦・道諦・滅諦)、十二因縁(無明・行・識・妙色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死)に代表される因果の道理であります。ものごとには必ず原因があり、原因に縁が働き結果が生じ、報いが起こります。因縁果報の道理をよく理解すれば、善因善果、悪因悪果なることをわきまえ、善なる生き方をする。それが仏道であり、仏教であります。
智慧とは、自己の心の中に潜む悪しき心根(本性)を認識し、それらを悪魔とし、惑わされずに生きるための心のおこないであります。すなわち自らの心中の悪魔を伏せんがために、「おいあくまよ」と唱えましょう。
お・・・おこらない、い・・・いばらない、あ・・・あせらない、く・・・くやまない、ま・・・まけない、よ・・・よくばらない。
「おいあくまよ」は以上六つの項目を実践することで成就出来ることでしょう。
福正寺 住職 木 本 清 玄
2010-10-05