慈覚大師円仁さま「その4 弘法」(法話第31話)

その4、弘法(54歳~71歳)

 円仁が唐より持参した584部802巻の経典、50種の仏画や法具、そして受法し修得した仏法。それらの求法の成果を実践に用いるために、比叡山に戻り、天台教学の中心の教えである法華円教と天台の密教「台密」を融合させた円密一致の教えの基礎を確立させます。また、五台山で得た念仏三昧の教えを実践するために常行三昧堂を建立し、叡山浄土教の起源を作りました。
 さらに円仁は、再び衆生済度の遠い旅に出ます。あらゆるもの皆すべて仏になれるという教えを説く『法華経』と、念仏や写経の実践、その拠り所となる寺院の建立、特に東北では産業振興にまでその活動の幅を拡げ、民衆の生活向上に努めたと伝えられておます。
 その後比叡山に戻り、仁寿4年(854)、61歳のときに、第3代の天台座主に任命され、天台宗の発展に尽くし、比叡山を日本仏教の母山と呼ばれるほどに築き上げてゆきます
 仏教の学問的功績も多く、主たる著作である『顕揚大戒論』には、のちに学問の神様と呼ばれる菅原道真が序文を寄せています。
 貞観6年(864)1月14日、円仁は71年に渡る生涯を閉じ、遷化せられました。遺言の中に、「自分の遺骸を華芳の峰に葬り、その上に目印として樹を植えてくれればよい」と言い残され、そのようにされました。どこまでも謙虚な人でありました。
 没後2年、円仁の偉大な功績を称え、法印大和尚の位とともに、日本初の大師号である「慈覚大師」の尊称が贈られました。



2014-09-02 シルクロードのオアシス、敦煌を訪ねて(第32話) 慈覚大師円仁さま「その3 求法」(法話第30話)
新着情報ここまで