浄土について(法話第27話)

 平成23年6月25日、パリで開かれている国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第35回世界遺産委員会は、「平泉の文化遺産」についてについて世界文化遺産への登録を決定いたしました。
 登録が決まったのは、浄土思想に関する重要な遺産として、金色堂で知られる中尊寺、浄土庭園の毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山の5遺産である。
 平泉は、2008年の世界遺産委員会でも審査されましたが、一説に、「浄土思想」ということに対する理解の足りなさから認められなかったとも言われます。
 では、浄土とはいったいどのようなことなのでしょうか。

 「浄土とは」清浄で清涼な世界であります。仏国土とも言います。
 『維摩経』というお経には、「その心清きに随って、すなわち仏土浄し」とあります。その世界に住む人々の心が清らかであるからその世界(仏土)も浄らかなのです。
 『心地観経』というお経には、「こころ清浄なるが故に世界清浄なり、心雑穢なるが故に世界雑穢なり」とあります。世間の清浄であることは心による。すなわち、国土の浄不浄はそこに住む人の心によって決定づけられる、とうことなのです。「真実の浄土」は、仏の住居する処であり、成仏せんがために精進する菩薩の国土である。仏には過去千仏、現在千仏、未来千仏、といわれるように多くの仏がいらっしゃいます。その多くの仏にそれぞれの浄土があります。したがって、阿弥陀如来は西方極楽浄土、薬師如来は東方浄瑠璃世界、阿閦如来は東方妙喜世界、釈迦牟尼如来は無勝荘厳国・霊山浄土、毘盧遮那仏は蓮華蔵世界、観世音菩薩は補陀落浄土などなどです。
 

浄土は何のためにあるのでしょうか。

 浄土とは、仏自らが法楽を受用するためと共に、人々をその国に引接して化益をほどこし、悟りを開かせるためであります。
 

なぜ、浄土が重んじられたか?

 仏教が日本に伝えられてから500年くらい経ってころ、世の中が天災や飢饉、疫病、また保元の乱や平治の乱などの戦乱によって混乱が生じ、厭世的な気分が蔓延したきたころ、「「末法思想」」という世間観が平安時代後期に広まってきた。
 末法思想とは
 (1)正法時代 教・行・証の三あり・・・釈迦滅後 500年間
 (2)像法時代 教・行  の二あり・・・     1000年間
 (3)末法時代 教    の一あり・・・     10000年間
 (4)法滅時代
といわれるもです。西暦1052年より末法の時代に入った、と信じられた。「(『末法灯明記』)」
 末法の世の平安後期、人々はすさんだ現世よりも、来世を重んじるようになり、心のよりどころにしたのが、死後は極楽浄土に往生できるという浄土信仰であった。
 極楽浄土への往生を説く浄土教の基となる経典は、紀元前100年頃のインドで『無量寿経』や『阿弥陀経』が編纂されたことを契機に浄土教が起こり、中国経由で日本へと伝わった。念仏修行や布施などの功徳を積めば、阿弥陀如来が住む極楽浄土へ「往き」、仏として「生まれる」という思想は中国で確立した。

 『阿弥陀経』に説かれる極楽浄土の様相

 「是より西方、十万憶仏土を過ぎて世界あり。名づけて極楽という。その土に佛有り、阿弥陀と号す。今現在説法す。舎利弗よ、彼の土を何が故に名づけて極楽と為すや。その国の衆生衆苦有ること無し。但だ諸楽を受けるが故に極楽と為す。・・・」
 「極楽国土には」
 七重の欄干、七重の網飾り、七重の並木が張り巡らされている。それらは四宝(金・銀・瑠璃・玻璃(水晶))で出来ている。
 七宝(金・銀・瑠璃・玻璃(水晶)・硨磲・赤珠(赤真珠)・瑪瑙)で出来た池があり、八功徳(甘・冷・軟・軽・清浄・不臭・飲時不損喉・飲已不傷腸)の水が充たされている。
 池の底は一面に金の沙が敷き詰められている。
 池の四辺には四宝(金・銀・瑠璃・玻璃)で出来た階段がある。
 上には楼閣があり、これも七宝で厳かに飾られている。
 池の中の蓮華は、大きさが車輪のようで、青い花は青い光を、黄色い花は黄色い光を、赤い花は赤い光を、白い花は白い光を放っていて、芳しい香りを放っている。
 その仏国土は常に天上の音楽が奏でられている。
 大地は黄金でできていて、昼夜六時に曼荼羅の花が降り注ぐ。
 その国の衆生(人々)はすがすがしい朝になるといつも、それぞれの花籠に色とりどりの美しい花を盛り、他の十万億土の仏がたを供養する。食事時になると本国へ帰ってきて食事をとり、経を読み瞑想し散策する。
舎利弗よ極楽浄土はこのように美しく飾りたてられている。
 また次に舎利弗よ、彼の国には常に種種の色取りの鳥がいる。白鵠(白鳥)・孔雀・鸚鵡・舎利鳥(鷺・九官鳥・百舌)・迦陵頻伽・供命の鳥である。この様々な鳥たちは、昼夜六時に優雅な声でさえずる。その鳴き声は、五根(信・精進・念・定・慧)、五力(五根が増長して五障を治する勢力)、七菩提分(択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・捨覚支・定覚支・念覚支)、八聖道分(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)などの尊い教えを説き述べている。その国土の人々は、この鳴き声を聞き終わると、だれもかれも仏を念じ、法を念じ、僧を念じるのである。
 
 「天台宗の浄土信仰 恵心僧都源信」 源氏物語 横川の僧都
 天台宗の浄土信仰は、恵心僧都源信の書かれた『往生要集』によるところが大きい。
 恵心僧都源信とは『源氏物語』の「浮船」のところで、横川の僧都として出てくることでも有名である。薫と匂宮の間で懊悩 自殺しようとした浮船を助け出家させるのである。
 「『往生要集』の臨終行儀」
 臨終行儀とは、臨終のための堂を造り、病人を寝かせ、阿弥陀仏の立像を置く。病人を北枕にして顔を西に向け、阿弥陀仏の左手に五色の糸を結わえ、病人の左手に繫ぎ、仏に従って浄土に往く様子を想起させ念仏を称えさせる。看病する者は香を焚き、花を散らして病人の周りを整え、ひたすら念仏を唱える。今わの際に阿弥陀如来が来迎し、一瞬のうちに極楽浄土に生まれ変わるのである。
 「「念仏」とは」「南無阿弥陀仏」(なむあにだぶつ)と称えることですが、念仏には二種類あります。口称の念仏と観想の念仏です。
 口称の念仏とは、口から声に出して「南無阿弥陀仏」とお称えすることです。観想の念仏とは、心の中に「南無阿弥陀仏」の名号、または阿弥陀如来を思い描くことです。
 「臨終の一念」とは、念仏をした数よりも、臨終に際しての念仏が一番有難いんだ、ということです。
 同時に亡くなった二人が、三十五日に閻魔さまの前で裁きを受けます。(A)という人の念仏の袋は大きく、毎日毎日念仏をしてきましたが、臨終のときには出来ませんでした。(B)という人は、念仏の袋が小さく、平生は念仏をしたことがありませんでしたが、臨終に際して一生のうちに一度だけ「南無阿弥陀仏」と称えることが出来ました。閻魔さまは、(B)の念仏の袋は小さいが、臨終に念仏が出来た人を極楽浄土に送り、(A)の念仏の袋が大きい人は六道輪廻の世界へ送られました。
 

浄土思想の立役者の比較

 日本仏教で浄土の教えを、宗旨としているのは、天台宗、浄土宗、浄土真宗です。その三宗の高僧の教えを比較してみると、
 天台宗   源信  観想・口称  自力
 浄土宗   法然  口称     自力・他力
 浄土真宗  親鸞         絶対他力  (称えなくてもすでに救われている)
ということになるでしょうか。
 他に念仏者として、空也(平安中期)がおります。天台宗空也派ともいわれ、踊念仏、六斎念仏を行ない、 阿弥陀聖、市聖ともいわれました。空也の踊念仏から、盆踊りが始まったとも言われております。

福正寺 住職 木 本 清 玄

2011-08-21 慈覚大師円仁さま「その1 生誕」(法話第28話) 「お地蔵さま」について(法話第26話)
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