慈覚大師円仁さま「その1 生誕」(法話第28話)
福正寺を開かれた、天台宗第三代座主、慈覚大師円仁さまは、日本仏教の礎を築かれた尊いお方として、今に伝わっております。特に、10年に及ぶ唐(今の中国)への教えを求めての旅日記である『入唐求法巡礼行記』は、世界三大旅行記の一つに数えられております。
その円仁さまの御生涯を振り返り、慈覚大師さま1,150年御遠忌に際して、報恩謝徳の一助といたしたいと思います。
その1、生誕(0歳~9歳)
平安時代が始まった延暦3年(794)、円仁は下野の国(今の栃木県)都賀の郡、壬生家において生まれました。その時、生家の上空に、紫雲ガたなびくのを見た小野寺山大慈寺の名僧、広智は、「この子が成長したら、自分に預けてほしい」と父母に願い出ました。
円仁が5歳のとき、父は東北の蝦夷との戦いに出征、戦傷を負い、それがもとで亡くなってしまいました。かけがえのない父を戦争で失う。そのような体験が、武力でなく、信仰によって世の中を平和で安泰にしたいと願う礎になっていたのかもしれません。
父亡きあとは、母の手で育てられ、兄から儒教や歴史を学びました。理解力に優れ、覚えの早い円仁を、当時優れた学僧が集まる大慈寺(岩舟町)の僧広智のもとに預けることにしました。
円仁が゙9歳のときのことでした。