愛犬ラッキーのこと(法話第14話)

 「生者必滅、会者定離」「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」
 私の日課であった。朝起きて、ラッキーを玄関から内庭に放す。用を足し、顔を洗い、お茶を入れ、先ずは庫裏のお仏壇に、次には本堂の天台大師、本尊薬師如来三尊、伝教大師、慈覚大師にお茶とお線香を上げ、徐にお勤めをする。お勤めが終わると客殿の玄関を開け、新聞を取り、事務室のカーテンを開ける。
 私の行動を見透かしていたように、事務室の窓の外にはラッキーが私の方を見つめ、散歩に連れて行ってくれるのをじっと待っている。
 新聞を食堂のテーブルの上に置き、庫裏の玄関の下駄箱の上においてある、ラッキーの散歩用リードを持って出ようとする。彼はすでに玄関の前で、私が出てくるのを待っている。
 朝の散歩は境内の中だけである。境内を一周し終わると一目散に内庭にある自分の小屋へ向かう。彼にとっては最も楽しい朝食の時間である。「愛犬元気」という、牛肉や鳥肉の挽肉と野菜を混ぜ合わせたようなパック入りの餌を2パックあげる。よく噛まずに飲み込むようにしてすぐに食べ終わってしまう。「おいおい、もっとよく味わって食べろよ・・・」と言いたくなる位である。
 昼間は寝ていることが多くなった。小屋から出しても隅のほうで蹲っている。たまに玄関の鍵が開いていると、戸を開けて家の中に入り、食堂のテーブルの上にあるものを漁って盗み食いをしたこともあった。
 夕刻を迎え、辺りが暗くなってくる。客殿の周りについている外灯が点く。すると彼は居ても立ってもいられなくなる。早く散歩に行きたいの一心で吠えるは吠えるは。私の姿をちょっとでも見ようものなら、早く散歩に連れてゆけとばかりにうるさいほど「きゃんきゃん、きゃんきゃん」と吠えまくる。庫裏の玄関から出て行き、小屋の扉を開けてやるとうれしそうに事務室の裏口のところに行く。其処が首輪にリードを繋いでくれる場所なのである。
 散歩のコースは、境内を出て八幡神社の脇道を通り、ライオンズマンションを抜けて、遊水地のある運動公園のところに出る。そこから西大宮バイパスの側道を通り、西あるいは東へ向かう。西に向かえば、荒川の土手に登りサイクリングロードを南に向かう。ラッキーが若い頃は、健保グラウンドの辺りまで行ったりもした。サイクリングロードを北に向かえば、大宮国際カントリークラブのコースの中を通ったり、更に北に行き、西楽園のほうに折れたり、そこから秋葉神社のほうを回ったりもした。
 西大宮バイパスがまだ工事中のとき、そのバイパスの上を歩いたこともある。下郷の妙光寺に埼玉教区の宗務所が建設中の時には、ラッキーと散歩の途中によく行ったものだ。
 ここ1~2年ラッキーの歩くスピードが遅くなった。途中やっと歩いているようにも思えた。足腰が弱くなったせいか、階段を登るときも腰が砕け,足がついてこない。これからはあまりと遠くには行けないと思うようになった。
 朝、外に出すときも、寝ているところを起こして出すようになった。耳は遠くなり、駐車場に車が来ても気がつかない。内庭に人が来ても分からない。年のせいなのだろう。
 1月22日(火)、息子が小屋から出そうとしても、一向に立ち上がらないという。急いで病院へ運ぶ。即入院。点滴をして様子を見る。かなり体が衰弱し、生命が持つか持たないか五分五分という。
 23日(水)夕刻に見舞いに行ったときには、点滴をしたまま、ぐったりとして起き上がれない。「頑張れラッキー」ただそれだけである。
 24日(木)午前中、床屋へ行って帰ってくると、「ラッキーだめだった」と家内から聞かされる。一瞬「えっ?」と思ったが、「やっぱりだめだったか」と思う。子供たちがラッキーの遺体を病院から引き取って帰ってきた。いつも夜寝ているところに横たえ、灯明を点し、花を飾り、お線香を上げる。自然と涙が湧いてくる。かわいそうなラッキー。平成7年4月に生まれて、間もなく我が家へやって来た。享年13歳。シェットランドシープドッグとしては長生きな方だという。でももっと生きていて欲しかった。最後の呆気なさにより一層切なさを覚える。
 さようならラッキー。もっといろんな所へ散歩に連れて行きたかった。もっと腹いっぱい食わせてやればよかった。もっと撫でてやればよかった。そんな思いが過去の思い出とともに胸に溢れてくる。

2008-02-15 四国のお遍路と四門(法話第15話) 梟の福多郎の話(法話第13話)
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